IQ130ニート(ADHD)の脱社畜&心理ブログ

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僕は自分の親の事が嫌いだ。殺したいと思った時期もあった。

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僕は自分の親の事が嫌いです。

 

30歳超えてもこんな事を言う人は稀でしょう。

 

いやいや反抗期じゃないんだからさ(笑)

 

と言われるでしょうけど。

 

でも僕はそれほどまでに僕は親を怨んできた。

 

 

 

僕の家庭は決して貧しい家庭では無くどちらかというと裕福な方に分類される家庭でした。

 

それなりに自分の好きな物は買い与えてもらったし

それなりの良い服を着て

それなりの良い食事をして

それなりの良い家に住んでいた

 

たぶん周りからみれば普通の家庭だったはずだ。

 

僕の父は忙しくて仕事が大好きな人で僕と遊んでくれた記憶はあまりない。

 

遊んでくれ。と頼んで遊んでくれた事はほぼ無い。

 

小学三年生だったある夏の日

 

夏休みに近所のプールに連れてってもらったりしたけど父親はプールに浮かぶボートの上にぷかぷか浮きながら寝てるだけ。

 

夕方の4時に更衣室の入口で待ち合わせだったのだが

 

僕は一人遊びに夢中で

四時半に更衣室の入口にいったら親父の姿はもう無かった。

 

僕は海パンのまま親父の車が止めてある所に行った。

 

そこに親父の車は無かった。

 

僕「まじかよ。」

 

タオルも着替えも全部持って帰って小学三年生だった僕をタオルすら置いていかずに放置して家に帰る始末。

 

平気でこういう事をする親だった。

 

 

 

母はとにかく世間体を気にする人でいつも世間体の事しか考えていない人。

 

とにかく普通で一般的。典型的な世間の一般常識に囚われてる人だった。

 

この人は本当に自分の意見や考えを持ってない人だな。と僕が中学校くらいの時に気づいた。

 

自分で物を考えずに常識を軸にしか考える事ができない人だったのですごく「頭の悪い人」だった。

 

小学校五年生の時に家族で映画を見に行ったときに

 

僕は映画が始まる前にトイレに行きたくなったのでトイレに行くことにした。

 

僕「映画館の中真っ暗で探すの大変だから映画館の入口でまっておいて!」

 

と言ったのに、理由はわからないがなぜか家族で僕の帰りを待たずにそそくやと暗闇の映画館の中に消えていった。

 

僕がトイレから出てきた時には家族の姿は無く、暗闇だし、一人で歩きまわるのがなぜか怖かった僕は探すの諦めて一人で二時間立って映画をみた。

 

小さな事かもしれないがこういう事ばっかり両親がしてくるのでつもり積もって僕の両親に対する嫌悪感が積み重なっていった。

 

 

 

中学校の時に猛烈な反抗期を迎えて

 

よくある親子喧嘩のフレーズだが

 

かあちゃん「あんたをそんな風に育てた覚えはNEEEEEEEEE!!」

 

僕「俺だって望んでお前ら両親の元に生まれたかったんじゃねぇよ!!どうせなら他の家に生まれたかったNEEEEEEEE!!!」

 

みたいな喧嘩を週6でやっていた。

 

 

だがこのセリフは後に後悔することになる。

 

時は流れて高校受験の時が来た

 

高校受験の時

 

僕は行きたい学校があったのに親に反対され親の進めるままの高校に進学した。(猛反発したけど)

 

この時くらいから嫌悪感がピークに達していた。

 

本当にいつも僕のやりたい事をやらせてくれない。僕のやりたがる事にとにかく反論したがる。

 

そして高校卒業の時も僕は行きたい学校があったけど当然それも猛反対されよくわからない福祉の専門学校に入学させられた。

 

 

要するに「僕の人生なのに絶対に自分の意見しか通さない人だった。」

 

19歳くらいの時に親父が病気を患い仕事ができなくなり退社。

 

2年くらい仕事休んだのかな?休暇後に仕事を辞めた。

 

2年休んで貯金が減っていき、親父は焦ったのだろう。

 

もう年齢も年齢で会社に再就職できる年ではなかったので自営業をやるといい始めた。

 

しかも勝手に家族を巻き込んで。

 

僕と母親は猛反対したが。うちの親父は自分の意見がスムーズに通らないとすぐにキレ散らかす。

 

そして家族誰も心から賛成してないのに本当に超無理くり自営業を始めた。

 

ここで僕の嫌悪感は384%くらいまで来たのだ。笑

 

 

そして当然ながら僕は嫌な事は続けられない人間なので五か月足らずで自営業から抜けて親父単独で自営業をやる事になった。母とも離婚した。

 

僕は出身は仙台なのだが3歳から20歳までのこれまでの人生の大半を大阪で過ごした。

 

離婚をきっかけに単身で東京に乗り込む事に決めた。

 

東京で仕事をし始めて7年たった。ある日。

 

ほとんど連絡をとっていない親父から連絡があった。

 

「もう年で体が限界だからお前お店継がないか?」

 

と。

 

少し考えたが僕が当時働いてた会社に「未来が無い」と思い転職を考え始めていた時期だったので

 

タイミングもあって初めて渋々では無く自分の意思をもって了承した。

 

そして大阪に帰って蓋を開けてみたらびっくり。

 

色々理由はあるけど割愛しますが

 

結論僕にお店を渡すのは無理。と言い始めた。

 

ここで僕の嫌悪感は1063%に到達し、遂に殺意が芽生え始めて本当に殺してやろうか。と思うようになっていた。

 

 

他にも色々ありますが 実はこれ全部前置きです。

 

僕が言いたかったことは一つです。

 

 

 

 

 

結局親がどんだけクソでも「今ここに生きてる」って事実は何にも変えられない事実だって事。

 

結局どれだけの毒親であったとして、どれだけ恨みがあったとしても「今。この場所で。生きている。」って事実は誰にも何にも変えられない。という事実。

 

両親がいなかったら今こうやって記事書いたりもしてないし。

 

僕は今自分の意思をもって生きている。こういう変な環境だったからこそ書ける事がある。

 

 

なので結局今はこの両親の元に生まれて本当に良かった。と心の底から思っている。

 

P.S

 

生んでくれて本当に感謝している。ありがとう。

 

親が嫌いな人でも親には感謝してくれ。

 

こういう子供を持てて、感謝している。と親から言われるようになろう。

 

 

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